わたしについて。

 

 

 

 

 

わたしについて。

考える意味はあるのか無いのかについて考える。

 

 

 

 

そもそも、「わたし」とは何なのだろうか?

 

 

前程として、生まれてくる時に親は選べないし、時代も状況も環境も選べない。

 

 

 

 

じゃあその先の自分のゆくえについて、

 

 

自分の意志を持っていったい何を選べるのか?といったら、

 

 

選択肢は少なくはないだろうけれど、

 

 

その大半は世の中に存在している選択肢のごく一部から、

 

 

もっとも自分に適合されるであろう趣味や、仕事や、人や、将来を

 

 

選択しているに過ぎない。

 

 

 

 

 

その前提に於いて、わたしが疑問に思うことは、

 

 

いったい「わたし」とは何なのだろう?ということだ。

 

 

 

 

 

なぜ疑問に思うのかといえば、

 

 

その前提自体が極めて限定されている(親や環境、社会や国や教育や政治などによって)からだ。

 

 

 

 

 

私が知りたいことは、

 

 

「わたし」とはどこまでが(親や環境、社会や国や教育や政治など)規定された物や事に、

 

 

基くもので、どこからが各々の意志によって選択され、実行されてきた事なのか?

 

 

ということなのだ。

 

 

 

誰もが「わたし」と思っている「わたし」とは、

 

 

実は限られた選択肢をシステマティックに選んできた結果に過ぎないのではないのだろうか、

 

ということなのだ。

 

 

 

 

 

それで、そんな「不自由な選択肢」の中から培われて現在わたしのような顔をして存在している私が、

 

私として生きてゆく上でとても大切だと思っているのは、

 

わたしをあらゆる場所に「分散」させることであり、

 

 

それはわたしがあらゆる場所に「存在」していることを感じさせてくれる。

 

 

 

 

そしてそれはまた、私がどこにも存在しないし、

 

 

これまでもそれからも、ある一定のところに存在したくないということなのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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