「感情」という尊いそれを自由にさせたいと思った

あらゆる枠組みから、解放されたい。

心の底からそう思う。

 

「感情」という、たいへん尊い存在が、

国家や制度や道徳という名の良く分からないものたちや、

たとえば子供が生まれるなどの身体的な拘束などや、

あらゆる決まりや枠組みによって、

あまりに不自由なのだ。

 

 

だからわたしは想像する。

 

来たるべき未来とは・・・?

 

 

あらゆる制度や精神的拘束から逃れて、

感情が常に現実にフィットしているような個人の状態を。

 

 

感情が、あらゆる制度や精神的拘束によって

束縛されることから解放された人間こそ、

新しくて理想的な存在なのではないかとか、そんなことばかり考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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