欲望を起点に考える。

ひょっとしたら明日死ぬかも知れないので、

現時点でのわたしの考えていることをメモしてみる。

 

 

内容としてはきのうの続きになるけれども、

人はなんの為に生きているのか?いや、そんな大それたことを考えていなくとも、

いったい何がその人間を生かす原動力になっているのか?ということをこの数十年ひたすら考えている。

 

 

私なりの考察の結果、人は自分に「足りないもの」を自分に「枯渇」しているものを満たすために、

生きているのではないだろうか。

 

 

勿論これは、あるレベル以上の話しであって人類全ての人々にあてはまる話ではない。

 

 

生物としての動物としてのヒトとしての人間が、最も重要視しなければならないことは、「生きのびる」ことであり、

生きるという事は「食べる」という事だ。

 

 

すなわちここで私が言っていることは、人間が生きてゆくうえで必要な最低限の衣・食・住という要素を、

クリアしている場合を前提とした話しであり、

それ以前の場合は無論、その最低限の要素が「生きる」ことの意味であることは今さら私が言うまでもないだろう。

 

 

 

 

「無い物ねだり」という言葉は大変的確だと思うけれども、

そんな「ちょっと努力すれば手に入りそうなもの」のような欲望から、

そう簡単には手に入れられない欲望まで。

 

 

有名になりたい、権力が欲しい、金持ちになりたい、

美しくなりたい、美味しいものが食べたい、観たことのない景色を観たい・・・。

 

 

 

といった具合に、その種類も目的も様々な「欲望」という名の得体の知れないもの。

 

 

私たちの原動力はそこを起点にしてはいないだろうか・・?

 

 

そして、仮にそれを起点に人間が思考し、行動しているのだと考えると、

あまりにも、あまりにも分かりやすい世界=社会=あなたが、私の前に立ちはだかってくる。

 

 

欲望を起点として物事を見つめると、

そこに存在しているあらゆる現象が、それと切り離せない関係であることを理解するだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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