ライブでの身体表現に関するメモ(再)

ツイッターでそんな話をしたけれど、

それだけでは説明が足りないと思うので2年前に日記に書いた考察メモを再度UPしてみます。

 

 

 

 

 

これはダンスではない。「音楽」のもうひとつの表出である。

 

正確にいえば、「音」そのものを身体にインプットし、その音が身体からアウトプットした表出である。

予め決められた音楽であっても、初めて聴いた音楽であっても、

いまそこにある「音」に対して反応することを目的とする。わたしはその時完全に変換装置になる。

身体という変換装置に。

 

なので、いっさいのエゴや感情の介入をさせないことに気を配る。

わたしはその時完全な受け身の存在としてそこにある。

 

 

「音」という名前の主人にたいして、わたしの身体がどれだけ忠誠を誓えるのか?

それが、この実験の目的であり観察するべき点である。

 

 

 

「音」といっても、いくつもの音がかさなりあっており、

それはその中のどの音にとか、それが何処から始まってどこに向かうのかということは予め予見できない。

 

 

その「音」を聴いてその「音」のある「部分」を身体が選びとり、

それが身体を通して変換されアウトプットされる。

 

 

それは予め決められた音楽であっても同じである。

 

なぜなら身体は毎秒ごとに変化しつづける存在であり、

その身体は毎秒ごとに聴こえてくる音のなかで重要視されてくる部分が違っている。

 

 

要するに、常に変化し続ける自分という装置は、

同じ音を聴いてもそのアウトプットは決して同じものにはならない。

 

 

この反応はまさにそれを目的とする。

 

 

いっさいのエゴや感情を介入させないというルールと、

身体を機械化させるというルールが、

自分ですら予期しない表出を生み出すことを最大の目的とする。

 

 

2010年 10月2日  2時41分 AM

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