抽象的な日々。

なんだか、まいにち起きていることのすべてが

わたしの中では抽象的な現象のように思えてならない。

 

意識の中で毎秒ごとに起きていることと、

現実の日々とそれを他者との接触によって交わしてゆく全てのことには、

あまりにもズレがありすぎる。

 

そんな風に思っているのは、別にわたしだけではないだろう。

ごく普通に社会生活を送っている誰しもが、そんな日常を過ごしている。

 

わたしはどちらかと言えば、ひとりで過ごす時間を大切にしたい人間だ。

 

勿論、人が嫌いなわけではないけれど、

元々誰かと群れたり、だらだらとずっと誰かといっしょに過ごすことはしたことがない。

 

 

 

 

 

 

 

音楽がわたしの人生において、大変重要な意味を持っていることは疑いようのない事実だが、

果たしてわたしはなぜいまこのような状況にあってこんなことが起きているのだろう?

といった疑問は、常に変容してゆく事実の連続であり、それは音楽と密接にかかわりながらも、

決して答えの出ないだろう疑問でありつつけるだろう。

 

 

 

宇宙的な視点で見れば、わたしという存在なんてたった1秒にも満たないくらいの、

点にもならないかもしれない一瞬の存在でしかなく、

なにをしてもしなくても、その視点からすれば存在としてはまったく変わらないのだろう。

 

 

だけれど、それをクローズアップしていった時に、

地球とか世界とか国家とか社会とか個人とか個の存在という細かい視点が現れてくる。

 

そのような各々の視点において、私はいったいどのような意識をもった存在であるのか。

 

無意識にも意識的にも、その各々の視点における自分の存在とその位置づけについて問われているのが、

現代社会のような気がする。

 

無論、そのような問は始めから無視することもできるだろう。

 

もしかしたら、わたしが毎日を抽象的な現象に感じてしまうのは、

そのような問いから無意識に離れたいと思っているからなのではないだろうか。

 

 

 

そしてそれを私自身の表現、音楽や言葉やわたしの選ぶ「非日常みたいな日常」に、

わたしは逃避し隠れながら、託しているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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