たった今。
その一瞬が、出現した瞬間からそのすべてがゆっくり消えてゆくことに、
人はどれ程、意識的だろうか。
今日は15歳の時に父に買ってもらった、
クリーム地に雪の模様がされているタートルネックのセーターを着ていた。
もう、糸が解れてしまっている部分もあるけれど、
わたしがとても大切に着ているものである。
15歳のある日、わたしが思い立って(?)、
「一度だけでいいからお父さんと買い物に行ってみたい。」と言ったような記憶がある。
それが、ある日実現し、
私は人生初めて(そして今思えば最後の)父とふたりだけの買い物をしにゆくことになった。
渋谷の駅を降りて、父と109の②へ上った。
その上層階で、わたしはセーターを探していた。
(だから、きっとたぶんそれは秋か冬だったのだろう。)
一目見て気にいったそのセーターは、
値段を見ると同じ店や他の店に置いてある同様のものに比べて
2倍くらいの値段がした。
それで、ほかに良いものがないだろうかと、いろんな店を見て迷っていると、
それまで静かに待っていてくれた父が「どうしたの?」と聞いてきた。
わたしは素直に「欲しいのがあるのだけれど、値段が高いの。だから同じような他のものを探しているの。」と言うと、
父は、「値段ではなく、真由美が一番欲しいものを買えばいいよ。いちばん欲しいものを買ったらいいんじゃない?」
そう、言った。
わたしは嬉しくて、申し訳ないと思いながらもそのセーターを父に買ってもらった。
そんないきさつがあるものだから、わたしはそのセーターをとても大切にしまい扱い、着た。
お正月とか、なにか特別な日とかにしか着なかった。
最近では特に特別な日ではなく着る時もあるけれど、そうやって着てきたからこそ、
今も数十年前と変わることなく着ることができている。
そんな父は10年前に他界している。
親だからといって優遇するつもりもないし、
死んだからいい人だとか思いたくないし、死ねばなにもかもが清算されるとは微塵も思っていない。
けれども、わたしが15歳のあの時に、父が言った言葉は、
その人が死んでからより一層深く生きている。
ほんとうに欲しいもの。
ほんとうに大切なものだけあれば、それで充分に心は満たされるということ。
ほんとうに欲しいもの、ほんとうに大切なものだけ。
あったら、ほかには何もいらないということ。
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