「聴こえなかったものがふと聴こえる、そんな瞬間の存在を感じさせる音楽」
少し前に、可聴域というものが、年齢が上がるにつれ低下する特性を生かした「音」に関する現象が、話題になった。若者にしか聞こえず、彼らが嫌悪感を覚える高周波のモスキート音を使えばたむろ防止も可能だというその話をニュースで聞いてからというもの、年齢差のみならず、可聴域には環境や想像力の違いも影響を及ぼすのではというアイデアが、脳裏を離れない。そもそも身体能力はある程度、鍛えれば磨かれ、使わなければ萎える。それが前提だが、聴覚はおそらく、環境と想像力が加味されればいかほどにも変幻自在だ-そんな仮定もあながち妄想ではないかもと、オシレータの新作を聴いて考えた。この4人組の音をシンプルに説明すると、フルートや鍵盤楽器などの生音と、コンピュータやノイズマシンによる電子音、そしてボーカルで織り成されたデジタル・アコースティック・サウンド。とはいえ本作は、音の強弱やノイズの差し込む場所や割合をはじめ、この人たちがあたり前にとらえる「音」の豊かさは自分の日常のそれとは違う、と実感できるほどの嬉しい刺激の宝庫だ。たとえば、「記憶素子」という曲。この曲ではアナログ・レコードの針飛びが日常音とともに響くような内容が、ふとした瞬間に新たな展開を見せていく。そんな「ふとした瞬間」が彼らの曲には多く、そしてあまりに自然ゆえ、そこに自分には聴こえない音が確かに存在している気さえしてくるのが興味深い。聴きこむといつか、聴こえてくるのかもしれない。(妹沢奈美)
(oscillator “夜音 [yoru-oto]”) SPA! 2009年9月15日号