1月1日に恵比寿のコンビニで無印良品の超うすくて小さい黒いノートを購入して、
それに観た映画と本を(できればライブも)記入してゆこうとおもった。
きっかけは、ある映画関係の方から「昨年のベスト10について話したいですね。」と言われた時に、
「あれ?わたし何を観たんだっけ・・?DVD含めても全然思いだせない・・!!」という事に気づいたから。
先日タナダユキ監督の「ふがいない僕は空を見た」を渋谷で観たが、
その帰りにヒカリエの傍のワインバーに入って1杯だけ飲んで、 そのノートに年末~年始に観たもの、読んだものを書きこんだ。
ちょっとの間なのに、観たことを忘れているものがたくさんある。
これはこまめにメモしなければ!とおもう。
タナダユキの新作はたいへん素晴らしかった。
原作は女性なのか知らないが、とにかく女性にしか描けない作品ではないかと思った。
人間の根源的な何か~日本の高度成長期~団塊世代の理想と幻想~(バブルとその崩壊は今回は省く)
~2000年代以降の現在形としての結婚や出産への価値観。
それらの実態や問題が、かなり箇条書きな形~リアルな描写にまで散りばめられていて、
現代日本社会の複雑さを園子温とはまた別の形で浮き彫りにしたような作品だった。
私がoscillatorの活動をするにあたってテーマにしていることのひとつに、「自然と人工」という概念をどう考えるか?ということがある。
私自身はそれらは科学や時代によって常に変容してゆく存在であると思っているけれども、
oscillatorに関しては、そのバランスが現在聴いてくださっている人にとって半々のバランスくらいで 仕上がったらよいとおもっている。
その地点をどうやって定めるのか?はとても難しいけれども、
その1つ基準は自分たちが今ドキドキするものか否か?というのは重要な判断基準である。
タナダユキの話しに戻るが、個人的には「百万円と苦虫女」は有名ではあるがそんなに記憶に刻まれた作品ではなく、
本当に好きな作品は「赤い文化住宅の初子」であり、 なぜ好きなのかといえば、
それはその人の生まれだったり親だったりは選べないという、
本人の意志では「どうしようもないこと」を描いていることに特化した作品であるということがあると思う。
その、選べないことを丹念に描きながら、 そこから逃げ出す術を10%くらい提示している点も、
彼女の作品に大変好感を持っている点であり、 それが1点の光=希望として象徴的に「ふがいない僕は空を見た」では描かれている。
そこから抜け出すための「手段」の解り易いひとつの提示である。
そこに、生まれた環境は選べなくとも、 抜け出すためになにかを考えて行動におこしたものは、
きっとそこから抜け出し、今よりも安堵を得た生活を送ることができるのだという提示である。
新しい生命、子供というものに対する憧れと、 それに対する恐怖(=その恐怖の正体は子供という存在が生まれながらに持つ社会性ではないだろうか・・?) それらをどう考えていくか、、、? その考えの何が新しくて何が古くて何が普遍的なのか・・・?
そして、女性が産むことができる限界は男性のそれより短いこと。
選択できないとはどういうことか・・? そして選択とは何か・・? 改めて考えさせられ、そして自分にとっての現在進行形でもある作品だった。
人生とは、はかない夢である。
その夢が、どんな夢かを意識し、自覚し、軌道修整してゆくべき淡くて美しい存在である。