なんだか細かく忙しくって、ブログもUPできていなかった。
だけれど気づけば師走も後半を過ぎている。
10月から先月にかけては、たくさんの出逢いとか新しいことが舞い込んできて、
対応できないくらい忙しかったけれど、それらはすべて今後の自分にとって必要な出逢いだったのだろうと思う。
ただ、人は自分の時間を浸食されてしまう程、他人への時間を割いているとおかしくなってしまう。
まさに、2か月ほど前の私がそうだったので、今は静かにその時やり残したことをしながら、
マイペースな時間を取り戻そうとしている。
oscillatorの新作の音楽制作はコンスタントに続いている。
ただ、これまで1曲につき軽く100回以上は手を加えているので、
この作業の終わりがいつになるのかは明言できない状態だけれども、
かなり完成に近づいている曲が殆どかと思っている。
期せずして事実上3人体制になったこの数年で培ってきたことだとは思うけれど、
oscillatorという音楽の「イメージ」をメンバーそれぞれが共有できていることが一番の判断基準になっているということがある。
それは、ある意味では「ブランドイメージ」に近いもので、
個々の自我とかテイストなどとは無縁のところにあるのかも知れない。
そもそもoscillator自体が学生時代から数々のメンバーチェンジを繰り返しながらも、
その音楽性は一貫したものを保ってきたという背景があるのだとは思うけれど、
その姿勢は無意識にも意識的にもかなりブランドイメージ的なものを大切にしてきたように思う。
「oscillatorが大切にしたいと感じている共通の音世界を忠実に再現する。」
そのことに注力してきた結果が現在のoscillatorなのではないか?ということ。
ほんとうにたまたまだではあるけれど、わたしはoscillatorのボーカルとして参加してから、
十数年が経ってしまったけれど、
oscillatorの音楽を聴いて最初に感じたことは今も創作の最大のモチベーションになっている。
ちなみにoscillatorの曲で最初に衝撃を受けた曲は前作のアルバム「ポピュラリティ」にも入っている「door」という曲で、
現在のリーダーである田中が作った曲である。
この曲に感銘を受けてoscillatorに参加したいと思ったといっても過言ではない。
話しは変わるが、先日の衆院選挙にていろいろ思うところがあり、
だからというわけでもないが、なぜこんな事態になってしまうのかということを知りたくて、
仲正昌樹著「日本の思想講義~ネット時代に、丸山眞男を熟読する~」を読んでいる。
超インテリの仲正さんの本は過去にも読ませて頂いたことがあるけれど、
勿論わたしなどにそのすべてを理解できるわけがない。
でも私が今回少しだけ読んで思っているのは、
ひょとしたらこれは思想界のみならず政治の世界や音楽業界にも普通に言えることなのではないだろうか?ということであり、
理解と認識とその判断力には次元というものが必ず存在し、
それに対する世間の大多数の反応や表層的な現象に対するげんなりした気持ちを持った人というのものが、
どの分野にも少なからず存在しているのかも知れないということだ。
同時にそれらはパラレルな存在でありそれを推し進めるのは、
個人の掘り下げ方でしかないのではないか?ということである。

























