白いマーガレット

2014年4月14日 by admin

数週間まえに、すごく久しぶりに花を買いたくなって、

新宿のわたしのすきな花屋で、

白いマーガレットと名前は知らない小さな白い花を買った。

 

家に持ち帰ると、あまりに可愛らしくてそれぞれをお気に入りの花瓶に挿した。

白いマーガレットが特に美しかったので、

朝と夜に「あなたたちはほんとうに綺麗だね。」と、話しかけた。

 

まだ寒い時期だったからかもしれないが、

白いマーガレットはその日からほぼ買ってっきた日の新鮮さのまま、

4週間くらいは咲きつづけた。

わたしが今まで買った切り花のなかでいちばん長く咲いていた。

 

そしてほんとうにすこしずつ朽ちていった。

 

なぜか昔助からない病気で入院していた父親が、

「すこしずつ眺めが良い部屋に移るんだよ。」と言っていたのを想いだした。

実際にそうだった。

4人部屋から2人部屋へ、最後はとても眺めの良い1人部屋だった。

 

意識が遠のいてゆくのと引き換えに、

眺めの良い部屋が用意されていた。

 

わたしがこの晴れた朝にいま話しかけているこの声はもう、

この花にはぼんやりとしか聴こえない。

 

でも、なんとなくは聴こえている。

すこしの力でいきているから。

 

その数日後にその花は朽ち果てた。

まるで倒れるようにそっと。

 

だけど、そのかたちは朽ち果ててもなお「綺麗」だった。

 

 

 

 

 

 

きょういちばんの美しいもの。

2014年2月15日 by admin

 

 

ふわっと小さな雪の粉が、天から舞い降り続けるさま。

 

 

その舞い降りた粉雪が、

まだ誰にも踏まれないまま、

夜の電燈の光に反射してきらきらと輝いているさま。

 

 

どんな舞台演出も、「自然」のそれにはかなわないと感じる瞬間。

 

 

「自然」という演出が何よりも本当に素晴らしいのは、

それがどこから始まってどこで終わるのかを、

誰にも告げず誰も知らないままに、

その最高の演出がいつもそっと始まって、

音も立てずに終わるところなのだと思っている。

 

 

本当に美しいものはやはり、潔い。

人間のエゴが介在した美しさが決して自然の美しさにかなわないのは、

そこにあるんじゃないだろうか。

 

 

そのように考えてゆくと、

いったい自分は何を生み出すことが可能で、

人間という縛られた前提のなかでいったい何を創りだすことができ、

何を表現したいと考えているのだろうと、改めて考える。

 

 

電子音という極めて非人間的で、非自然的な音が、

はからずも「自然」を切り取った瞬間を表現することに不思議な感覚を覚え、

それについて答えは出ていないけれども、

その行為に寄り添っていることに心地よさを覚えてから、

ずいぶんと時間が経ってしまった気がする。

 

 

 

まだ誰も踏んでいない、

いま降り積もったばかりのふわふわの雪の上を歩きながら、

そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆきやまのはなし

2014年1月26日 by admin

年末に妹と話した時、

「私は美しいものがすき。だから私は山に登ったりする。ほんとうに美しいものを追及していったら、山のそれはこの世でもっとも美しいのもののひとつだから。」

そう言われてはっとした。

以前妹がひとりで登った雪山の頂上の写真を見せてもらったが、

その美しさは息をのむほどのもので、

それを肉眼で見て体感しそれを真剣に話す妹は、

何かとても崇高な精神を宿しているかのように思えた。

解り易く言い変えると、「俗っぼくない」ということかも知れない。

 

こんな風に自分の身内について話すのもおかしな話だが、

なぜかその時からあの雪をかぶった白い山の事を忘れられない。

 

その白さと、それを話す妹の純粋さがまるで何か眩しい光のように、

毎日わたしの中に現れては消え、

いろいろなもので混沌と曇ってしまった私の意識を、

少しも汚れていないまっさらな状態にリセットしてくれる。

 

そんな気がして。

また、あの雪山の景色を想いだしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1/18live@水道橋ftarri

2013年12月30日 by admin

新年初めのライブは1/18(土)@水道橋Ftarriにて、

the medium necksこと飛田左起代さんとの共同企画です。

 

とても可愛らしいフィライや―を左起代さんがつくってくれました。

あたらしい年の初まりに、音楽を通じてなにかすこしだけ皆さんと共有することができたら。

そんな気持ちでライブしたいなと思っています。

よろしければ、ぜひ遊びにいらしてください。

 

 

 

 

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生まれ変わる瞬間を見のがさ逃さないこと。

2013年12月23日 by admin

生まれ変わりたい。

いや。正しく言えば、一秒ごとに人は生まれ変わっているけれど。

 

瞬間ごとに変化しているわたしの感情や状況を感じていたい。

瞬間ごとに変化しているわたしの概念や思想をとらえていたい。

 

 

とても重要なことは、自分で自分の可能性を縛らないこと。

 

常に柔らかい思考で常に自由でいられれば、

きっと新しい状況や空間が現れる。

 

それから、ここに与えられた命とその時間が、

あなたのためだけにあるのだということを知ること。

 

あなたのためだけにある時間を、尊重すること。

 

時間という有限の存在をどうやって使うのかに意識的に考え行動すること。

 

 

 

そうやって、生きてゆくことが「わたし」なのだ、と思っている。

 

 

 

ああそうだ。忘れていたけれども。

 

 

もうひとつ。

 

 

あなたが生まれ変わる瞬間を見逃さないでいたいとおもった。

 

 

それはただの自己満足かも知れないけれど。

 

それを見たくて、確認して。

 

その時にわたし生きてることを感じているよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝のぼんやりした爽やかさは君みたいだった。

2013年12月3日 by admin

それはまるで、ありきたりの朝だった。

けれどもこの朝は2度と来ない事をしっているし、

だからこそそれを、そのまどろみを、

十分に感じとりたかった。

 

 

何物にも汚されたくないなどという資格はないはずなのに、

それを、そのやわらかい陽ざしの差し込む都会の朝を、

だれにも邪魔されたくなかった。

はっきりしない意識のまま、濃いめのコーヒーを飲みたくて、

なんとなく北欧風のカフェを見つけて入る。

 

全体的にとってつけたような北欧風のそのカフェは、

店員の口調もそのメニューも味もなんとなくぎこちなく、

いまの僕の気持ちそのままだった。

 

何も考えたくなくて、コーヒーを手に持ったまま

しばらく人通りのある店の外をみつめる。

 

とくに混んではいない店内で、昨日の出来事をぼんやりおもう。

時間がきて店をで出ると、なんて柔らかい都会の陽ざしだろう。

 

爽やかでなにか自信に満ちたような、

たっぷりの陽ざしが差し込むプラットホームに電車がすーっと入ってくる。

 

まるで夢から現実にゆっくりと意識を戻されるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「感情」という尊いそれを自由にさせたいと思った

2013年11月13日 by admin

あらゆる枠組みから、解放されたい。

心の底からそう思う。

 

「感情」という、たいへん尊い存在が、

国家や制度や道徳という名の良く分からないものたちや、

たとえば子供が生まれるなどの身体的な拘束などや、

あらゆる決まりや枠組みによって、

あまりに不自由なのだ。

 

 

だからわたしは想像する。

 

来たるべき未来とは・・・?

 

 

あらゆる制度や精神的拘束から逃れて、

感情が常に現実にフィットしているような個人の状態を。

 

 

感情が、あらゆる制度や精神的拘束によって

束縛されることから解放された人間こそ、

新しくて理想的な存在なのではないかとか、そんなことばかり考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11/17桜台poolにて鈴木鈴木でライブします。

2013年11月2日 by admin
すでにツイッターでは告知済みですが、
11/17に桜台のpoolさんで鈴木康文さんとのユニットでライブします。
個人的には、ずっとずっとまえから大好きだった方がたや,
恐れ多い方々ばかりでたいへん恐縮していますが、
がんばりますのでよろしくお願いします。
『double meaning』

2013/11/17(sun) op/17:30 st/18:00/fee/2000jpy+1d

 

イトケン

植村昌弘

川口貴大

鈴木康文

鈴木真由美

布山陽介

矢野礼子

山本達久

 

お問い合わせmissourilow(at)gmail.com

at pool( sakuradai tokyo ) http://mdel.co.jp/pool/

わたしについて。

2013年10月26日 by admin

 

 

 

 

 

わたしについて。

考える意味はあるのか無いのかについて考える。

 

 

 

 

そもそも、「わたし」とは何なのだろうか?

 

 

前程として、生まれてくる時に親は選べないし、時代も状況も環境も選べない。

 

 

 

 

じゃあその先の自分のゆくえについて、

 

 

自分の意志を持っていったい何を選べるのか?といったら、

 

 

選択肢は少なくはないだろうけれど、

 

 

その大半は世の中に存在している選択肢のごく一部から、

 

 

もっとも自分に適合されるであろう趣味や、仕事や、人や、将来を

 

 

選択しているに過ぎない。

 

 

 

 

 

その前提に於いて、わたしが疑問に思うことは、

 

 

いったい「わたし」とは何なのだろう?ということだ。

 

 

 

 

 

なぜ疑問に思うのかといえば、

 

 

その前提自体が極めて限定されている(親や環境、社会や国や教育や政治などによって)からだ。

 

 

 

 

 

私が知りたいことは、

 

 

「わたし」とはどこまでが(親や環境、社会や国や教育や政治など)規定された物や事に、

 

 

基くもので、どこからが各々の意志によって選択され、実行されてきた事なのか?

 

 

ということなのだ。

 

 

 

誰もが「わたし」と思っている「わたし」とは、

 

 

実は限られた選択肢をシステマティックに選んできた結果に過ぎないのではないのだろうか、

 

ということなのだ。

 

 

 

 

 

それで、そんな「不自由な選択肢」の中から培われて現在わたしのような顔をして存在している私が、

 

私として生きてゆく上でとても大切だと思っているのは、

 

わたしをあらゆる場所に「分散」させることであり、

 

 

それはわたしがあらゆる場所に「存在」していることを感じさせてくれる。

 

 

 

 

そしてそれはまた、私がどこにも存在しないし、

 

 

これまでもそれからも、ある一定のところに存在したくないということなのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薔薇とストロベリーフィールズ

2013年10月12日 by admin

いっしゅうかんお疲れさまだね、

それで週末は可愛らしい花と過ごしたいとおもったから。

 

花を買いました。

 

こどもみたいなピンクの小さなバラたちに、

ストロベリーフィールズというわたしが好きな花をすこしまぜて。

 

 

 

叶うなら、ほんとうはいつだってあなたの体温を感じていたいよ。

でもね、わたしたちみんな忙しすぎてなかなかできないんだ。

 

 

 

 

わたしたち、ここに生まれてきて同じ時間を時代をいっしょに過ごせているだけでも奇跡だから。

 

 

 

一滴のしずくみたいな瞬間を、決して見逃さないように。

 

 

 

二度とないその瞬間を、決して見逃さないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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